例年よりも少しだけ早めの梅雨入りと同時に、闘病中だった父が旅立ちました。81歳でした。
肝臓がんが見つかった時点ですでに骨転移もあったため、放射線治療などでがんの進行と症状を抑える治療でしたが、2年2か月、頑張ってくれました。最後まで、痛い、苦しいと口にすることなく、穏やかに過ごせたこと・・・お世話になった先生方や看護師さん、介護サービスの皆様には感謝しかありません。
父の容態がいよいよ悪くなり、栃木から兄が駆けつけましたが、私は変更できない仕事があり、兄と入れ替わりで福岡へ。もう父とは会えないことを覚悟して福岡の仕事へ向かいましたが、翌日仕事を済ませた私が福岡から戻り、母、兄、私の3人が揃うのを待っていてくれたような旅立ちでした。
私も思春期の頃には定番の「父親鬱陶しい」時期もありましたが、大学生になってからは2人で京都へ旅行をしたり、毎日隅々まで新聞を読む父に政治や経済、いろんなことを教えて貰ったりしていました。いつも口数の少ない、寡黙な父でしたが、ぽつりぽつりと口にする言葉はいつも私の体や仕事や家族を気遣ってくれることばかりでした。
今年は祖母、私の美容外科の師匠、父と、続けて3人との辛い別れがありました。でも仕事をしている時、特にかわいいちびっこ患者さん達と話している間は寂しさを忘れることができます。皆さまに元気をいただけて私はとても幸せです。
肝臓がんが見つかった時点ですでに骨転移もあったため、放射線治療などでがんの進行と症状を抑える治療でしたが、2年2か月、頑張ってくれました。最後まで、痛い、苦しいと口にすることなく、穏やかに過ごせたこと・・・お世話になった先生方や看護師さん、介護サービスの皆様には感謝しかありません。
父の容態がいよいよ悪くなり、栃木から兄が駆けつけましたが、私は変更できない仕事があり、兄と入れ替わりで福岡へ。もう父とは会えないことを覚悟して福岡の仕事へ向かいましたが、翌日仕事を済ませた私が福岡から戻り、母、兄、私の3人が揃うのを待っていてくれたような旅立ちでした。
私も思春期の頃には定番の「父親鬱陶しい」時期もありましたが、大学生になってからは2人で京都へ旅行をしたり、毎日隅々まで新聞を読む父に政治や経済、いろんなことを教えて貰ったりしていました。いつも口数の少ない、寡黙な父でしたが、ぽつりぽつりと口にする言葉はいつも私の体や仕事や家族を気遣ってくれることばかりでした。
今年は祖母、私の美容外科の師匠、父と、続けて3人との辛い別れがありました。でも仕事をしている時、特にかわいいちびっこ患者さん達と話している間は寂しさを忘れることができます。皆さまに元気をいただけて私はとても幸せです。